加賀の潜戸
島根県松江市島根町加賀
■「生」と「死」を巡る聖地、新旧ふたつの潜戸
洞窟を女性の象徴、また黄泉の国の入口とする
説がある。そうした「石屋信仰」の実例を『出雲
国風土記』の世界から紹介する。
『風土記』の嶋根郡の条に、神崎にある窟
として登場する海蝕洞窟で「加賀の潜戸」とよばれて
いる。大町桂月が、「加賀浦の潜戸を見ざるもの
は、未だ共に出雲の山水を語るに足らざるなり」
と激賞したという。
加賀の神埼即ち窟あり。高さ一十丈ばかり、
周り五百二歩ばかりなり。東と西と北とに通
ふ。謂はゆる佐太の大神の産れまししところ
なり。
(『磐座百選』より抜粋)
加茂岩倉遺跡
島根県雲南市加茂町岩倉
■オオクニヌシの宝を伝える金鶏伝説と大岩
『出雲国風土記』大原の 郡の条に、このような
記述がある。
神原郷 (かむはらのさと) 。 郡家(こうりのみやけ)
の正北九里なり。古老の伝へていへらく、天の下造らしし
大神の御宝を積み置き給ひし処なり。
神原の郷は、天の下造らしし大神(オオクニヌ
シ)の「御宝」を積んで置かれたところだという
のだ。『風土記』はそのあと、だから、神財の郷と
いうべきだが、いまの人はただ誤って、
神原の郷といっている……と記している。
(『磐座百選』より抜粋)
須我神社
島根県雲南市大東町須賀260
■スサノオとクシナダヒメが宿る奥宮の夫婦岩
さて須我神社だが、スサノオとクシナダヒメの
新居「須賀宮(すがのみや)」という伝承地にもかかわらず、
『風土記』には、神祇官が在中する一三社にはい
っておらず、神祇官がいない一六社として記され
ているだけだ。『延喜式』にも載っていない。「日
本初之宮」といわれるのに、これはどうしたこと
だろう。あえて中央から無視されたという説もあ
り、定説はないようだが、どうも神話はややこし
い。ただ、須我川の流域には、かつて12の村落
があり、須我神社はこの地方の総氏神として信仰
されていたという。神祇官はいなくても、中央に
認知されなくても、知る人ぞ知る存在として崇拝
されてきたのだろう。
(『磐座百選』より一部抜粋)
飯石神社
島根県雲南市三刀屋町多久和1070-8
■『出雲国風土記』に登場する天から降ってきた石
磐座を調べ始めたころから、気になっていた
「石神」があった。写真で見ただけだが、「古代の
祭祀形態をいまに伝える、数少ない神社の一つと
して名高い」という表現が妙に印象に残っていた。
『出雲国風土記』に登場する式内社・飯石神社の
神体石として祀られているもので、飯石郡の条に、
祭神・イイシツベに関する記述がある。
飯石の郷。 郡家(こほりのみやけ)
の正東一十二里。伊志都幣命の、天降りましし処なり。故 、
伊鼻志(いひし)と云ふ。神亀三年、字を飯石と改む。
飯石とよぶのは、イイシツベが天降ったところ
だからという。イイシツベは『出雲風土記』にし
か登場しない。飯石郷の地主神であり、地霊のよ
うなものだろうか。江戸期につくられた『雲陽誌』
飯石郡多久和の条に、その「わけ」が記され
ている。
(『磐座百選』より一部抜粋)